孝行のしたい時分に親はなし
「孝行のしたい時分に親はなし」ということわざは、日常会話の中でもよく使う表現ですね。大学生や就職したての時期に友人同士で話す際に使うことがあるかもしれません。また、既に両親が他界している年配の方から戒めとして聞くこともあるかもしれませんね。
よく使うことわざですが、その由来が川柳であることなどはあまり知られていないかもしれません。
この記事では「孝行したい時分に親はなし」の意味や由来などを解説します。
孝行のしたい時分に親はなしの意味とは
「孝行のしたい時分に親はなし」の意味は、「親が元気なうちにはありがたみに気付くことができず、感謝する頃には親はもうこの世にいない。生きているうちに孝行するべきだったと嘆くこと」ことを表しています。
よく聞く言葉ですが、実際に親のありがたみを感じて親孝行をしようと考えるのはかなり成長してからの人が多いでしょう。そうすると、「孝行のしたい時分に親はなし」になってしまうのですね。
「孝行のしたい時分に親はなし」は、江戸時代に作成された川柳集「誹風柳多留」の中の一句です。親孝行に対する認識は、江戸時代も今も変わらないのですね。
「孝行のしたい時分に親はなし」だけでも5・7・5の川柳として完成していますが、「石に布団は着せられず」という7・5調の下の句をつけることがあります。下の句をつけるとより風流に感じます。
孝行のしたい時分に親はなしを使った文章・例文
- 君はまだ若いからわからないかもしれないが、「孝行のしたい時分に親はなし」だから、早めに感謝を伝えることをおすすめするよ。
- 耳にタコができるほど「孝行のしたい時分に親はなし」と言われてきたが、まさか自分もそう思うことになるとは。