義を見てせざるは勇無きなり
「義を見てせざるは勇無きなり(ぎをみてせざるはゆうなきなり)」という言葉をご存知でしょうか?
何だか難しい響きの言葉ですが、テレビなどで聞いたことがある方も多いかと思います。
とても志の高いこの言葉を座右の銘としている方もいらっしゃるかもしれませんね。
というわけで今回は「義を見てせざるは勇無きなり」について解説します。
義を見てせざるは勇無きなりの意味とは
「義を見てせざるは勇無きなり(ぎをみせざるはゆうなきなり)」とは、「人として行うべきことを行わないのは、それをするための勇気がないからだ」という意味の故事成語です。
出典は、古代中国の思想書『論語』の第二番目『為政』の章にあります。
「其の鬼に非ずして之を祭るは諂うなり。義を見て為さざるは勇無きなり」
(そのきにあらずしてこれをまつるはへつらうなり。ぎをみてなさざるはゆうなきなり)
(訳:自分の祖先ではない霊を祭るのは諂うことである。人として行うべきものだと知りながら、それをしないことは勇気が無いからだ)」
『論語』の元となる思想・儒教においては、先祖を敬うことをとても大切にしています。なので、自分の先祖を祭るということは、とても大事なことなのです。つまり、この一節は、大事なことをおろそかにしてはいけないよ、と教え諭す言葉なのですね。
「義を見てせざるは勇無きなり」の対義語
『義を見てせざるは勇無きなり」の対義語は、以下のことわざになります。
「触らぬ神に祟りなし」
【意味】その物事に関わりを持たなければ、巻き込まれることはない。
つまり、面倒ごとには首を突っ込むな、という意味のことわざです。
【例文】今日の上司は機嫌が悪そうだ。目があったら残業させられそう。
触らぬ神に祟りなし、今日は大人しく仕事してさっさと帰ろう。
義を見てせざるは勇無きなりを使った文章・例文
1.満員電車で立っているお年寄りに席を譲るのは当然のことだ。
義を見てせざるは勇無きなり、恥ずかしがってないで声をかけるべき。
2.義を見てせざるは勇無きなり、不正行為を見て見ぬふりはもうやめだ。