針の筵
「針の筵(はりのむしろ)」という言葉をご存知でしょうか?
この言葉を聞いて、謝罪会見などで、なんだか縮こまってシュンとしている様子を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
では、いったいどういう意味なのでしょう。
今回は「針の筵」について解説します。
針の筵の意味とは
「針の筵(はりのむしろ)」とは、周囲の批判や非難に晒され、ひと時も心が休まらないことのたとえです。
「筵」というのは、藺草(いぐさ)や藁(わら)などを編んで作られる敷物のことですが、もしも、鋭い針が植えこまれている筵に座ることになったらと想像してみてください。
どんな痛みに襲われるのか、考えただけでも身震いするほどではないでしょうか。
「針の筵」とは、そのくらいの苦難や、辛い場所や境遇に置かれている、という例えなのです。
この言葉の出典は、江戸時代中期に遡ります。
談義本(滑稽な話を集めた物語集の一種)『世間万病回春(せけんまんびょうかいしゅん)』に「夫をおして居んとすれば針(ハリ)の筵(ムシロ)に尻すへるがごとくしばらくも安き心はない筈也」という一節が出てきます。
針の筵の類義語
「針の筵」の類義語には以下のようなものが挙げられます。
・居たたまれない
【意味】平静でいられず、その場にじっと留まっていられない気持ち
【例文】周囲からの好奇の視線にさらされて、とても居たたまれない気持ちになった。
・立つ瀬がない
【意味】立場を失って、辛い気持ちになること。
【例文】十八番を取られて立つ瀬がないのは私の方だ。
針の筵を使った文章・例文
1.加害者家族となり、針の筵に座った心持ちで、とても心身ともに休まらない毎日を送っている。
2.間違いを衆人の前で指摘されるなんて、まるで針の筵だ。