諦観
「諦観」という言葉について解説します。
この諦観という言葉は、なかなか日常会話の中で登場することはないとは思いますが、「この世界に対して諦観の念を持っている」といった感じで使われることのある言葉です。
見聞きしたことがあるという方も、初耳だという方もいらっしゃるかもしれませんが、「諦める」という漢字が入っていることから、そういう意味で理解しているという方は多いかもしれません。
実際に現代ではそういった意味で用いられることが多いですが、実は本来の意味はかなり違うものとなっています。
ここではそんな「諦観」という言葉について、意味や使い方などを詳しくご紹介していきます。
ぜひ最後までご覧いただき、その意外な意味を整理・把握してきちんと使えるようにしてみてください。

諦観の意味とは
諦観とは
- 全体を見通して、事の本質を見極めること・悟ること
- 悟りあきらめること、超然とした態度をとること
元々は仏教用語で、1の意味の言葉として日本に入ってきたと言われています。その後、次第に2の意味で使われることが増え、現代ではほぼ2の意味で使われているようです。
諦観の「諦」という字の本来の意味は「あきらかにする」というもので、日本に入ってきてから「あきらめる」という意味で使われるようになったと言われています。
あきらかに本質・真理を見極めること、そして悟ること=諦観 でしたが、現在その意味で使う場合には注意が必要かもしれません。
諦観を使った文章・例文
- 次々と当確が出る中、A氏の選挙事務所には諦観の色が浮かんできた。