泥中の蓮
「泥中の蓮」という言葉の意味や使い方について解説します。
読み方は「でいちゅうのはちす」となります。
蓮が、汚れた泥の中でも清く美しく花を咲かせることから生まれた言葉になりますが、皆さんはご存知でしょうか。
汚れた環境下でも影響されることなく、清く正しく生きる様子といった意味を持ちます。
今回は、そんな「泥中の蓮」について詳しく解説するので、この機会に深く知っていきましょう。
泥中の蓮の意味とは
泥中の蓮(でいちゅうのはちす)とは「汚れた環境下でもそれに影響されることなく、清らかさを保ち、正しく生きる様子。」という意味を持つ言葉です。
蓮の花が汚い泥の中でも清らかで美しい花を咲かせることから、この言葉が生まれました。
また、この「泥中の蓮」という言葉は、「泥の中の蓮」とも言います。
蓮は、「はす」とも「はちす」とも読みます。
また、「泥中の蓮」と対義的な言葉に「朱に交われば赤くなる」があります。
朱に交われば赤くなるとは「人間は、置かれる環境や関わる相手によって、良くも悪くもなる。」という意味を持ちます。
これは、中国のことわざにある「近墨必緇、近朱必赤(墨に近づけば必ず黒くなり、朱に近づけば必ず赤くなる)」が語源です。
良い友人を選ぶことは大切であるという教訓が含まれた言葉で、朱とは黄色みがかった赤色のことを指します。

泥中の蓮を使った文章・例文
- あの子は不良が多い中学校に通っていたが、周りに毒されることなくまじめに卒業した泥中の蓮のような女性だ。