弘法にも筆の誤り
「弘法にも筆の誤り(こうぼうにもふでのあやまり)」という言葉の意味について解説します。
あんなベテランがこんなミスをするなんてと思った時などに、弘法にも筆の誤りと言ったりしますが、皆様はこの弘法にも筆の誤りという言葉の意味をご存知でしょうか。
この機会に意味を理解してみましょう。
弘法にも筆の誤りの意味とは
弘法にも筆の誤りの意味は「その道の名人・達人と言われる人でも、時には失敗することがある」となります。
読み方は「こうぼうにもふでのあやまり」です。
弘法とは弘法大師のことです。平安時代初期の僧で真言宗の開祖である”空海”のことです。書の達人であった弘法大師でも、時には書き損なうことがあったということです。
弘法にも筆の誤りの類語
「河童の川流れ」「麒麟の躓き」「孔子の倒れ」「巧者の手から水が漏る」
「権者にも失念」「猿も木から落ちる」「釈迦にも経の読み違い」
「上手の猿が手を焼く」「上手の手から水が漏る」「千里の馬も蹴躓く」
「千慮の一失」「知者の一失」「知者も千慮に一失あり」「天狗の飛び損ない」
「念者の不念」「百足のあだ転び」「文殊も知恵のこぼれ」「竜馬の躓き」
英語で「pride goes before the fall」
似たような意味の英語の諺は「even homer sometimes nods」
(すぐれたホメロスも居眠りすることがある)
弘法にも筆の誤りを使った文章・使い方
<例文>
- なんでも緻密に完璧にこなしていた彼がこんな初歩的ミスをするなんて、弘法にも筆の誤りだよ。
- 彼女程の俳句の名人がまさか季語を間違ってしまうとは、弘法にも筆の誤りはあるものだ。