諦念
『諦念』という言葉について解説します。
皆さんはこの言葉を、見聞きしたことはあるでしょうか。
いさぎよく何かを行う事や、諦めることのイメージがある方もいるかもしれません。
恥ずかしながら、個人的には見聞きしたことが無いように思います。見聞きしたこともほぼ無いと言えます。
あまり頻繁に見聞きしないこの言葉。
知っている人も、知らない人も、ここで一度整理してみましょう。
ということで、ここではそんな諦念という言葉について、意味や使い方・読み方を紹介していきます。
ぜひ最後までご覧いただき整理・理解してみてください。
諦念の意味とは
諦念(読み方:ていねん)とは
- 心理を諦観する、心理を悟る心。
- いさぎよく諦めること、気持ち。
諦念という言葉は、仏教言葉として用いられることが多く、あまり一般的に使用されることは少ないようです。
人は焦ってしまったり、あたふたとしてしまうことがありますよね?
そもそも心構えができていて、直ぐに諦めることができる人は中々ないないとは思いますが、
いさぎよく諦めることができる、そんな悟りを開いたような人に対して『諦念の心境』と使用します。
中々使用する頻度は少ないかもしれませんが、機会があった際には使用してみてはいかがでしょうか?
諦念を使った文章・例文
・なぜだか不思議と、動じることなく諦念の心境になっていたのだと今なら分かる。
・諦念の心境にはなれず、私は誰が見ても分かるほど焦りを露わにしていた。