敵は本能寺にあり
「敵は本能寺にあり(てきはほんのうじにあり)」という言葉の意味について解説します。
明智光秀が織田信長を討つ前に言い放ったものだというのはあまりにも有名ですが、みなさんはことわざとしてのこの言葉の意味をご存知でしょうか。光秀や信長が生きた戦国を舞台にした時代劇の中でしか使われない言葉でもありませんので、この機会に意味を理解し、使ってみてはいかがでしょう。
敵は本能寺にありの意味とは
敵は本能寺にありとは、「別の目的に見せかけて、本来の目的を果たそうとすること」を意味します。
明智光秀の軍勢が、備中(現在の岡山県西部)に陣取る毛利軍を討つものと思いこませて、織田信長のいる本能寺に攻め込んだことから生まれた言葉だとされています。またある目的に向かって動き出す直前、あるいは動いている途中で、本来の目的に思い至ったときなどにも用いられます。
そのため、明智光秀専用の言葉というわけではなく、時代劇はもちろん、現代ドラマでも様々な人物がこの言葉を引用して、そうした状況のことを言い表しています。
敵は本能寺にありの類語
類義語に位置づけられる言葉は、目的をすり替えるという点で「移花接木(いかせつぼく)」ながあげられます。花をすり替えて枝木を繋ぎ合わせることで別の物に見せるという意味です。
敵は本能寺にありを使った文章・例文
〈例文〉
- 敵は本能寺にあり、倒産の原因はライバル会社ではなく上層部の責任だ。
- 浮気相手の女の方を責めるようにみせかけて、軽薄な彼氏に仕返しをすることにした。これぞ敵は本能寺にありだ。